運営法人誠友会について

理事長挨拶

出会いが織り成す白翠文化

竹内 淳昭和61年11月21日夕刻、佐倉市山崎にある竹内一男邸で社会福祉法人誠友会の設立発起人会が開かれていました。折しも大島三原山大噴火による空振が竹内邸の障子・襖をビリビリと震わせ、一同怪訝と不安に襲われる中で法人組織や高齢者問題について話し合われていたのです。当時、私は満35歳。これが社会福祉法人誠友会の始まりです。
あれから30年。役職員、評議員、行政、各種団体、建築関係、運営関係、医療施設、入所者、利用者、ご家族、ボランティア…。どれだけ多くの方々と出会い、どれだけ励まされ、お力添えをいただいて今日に至ったことでしょう。既に故人となられた方々を含め、関係されたすべての皆さまに衷心より感謝申し上げます。
誠友会事業の足跡は「歩み」に記載したとおりですが、時系列で表示された事業の背景を思い起こすと感無量。スムースに事が成ったことは何一つありませんでした。
特別養護老人ホームとは何か。縁故を頼り県内外17ケ所の施設を見学しました。施設整備の手続き、開発行為はどう進めるか。住民対策、給排水対策について千葉県や佐倉市の担当者から丁寧なご指導をいただきました。就業規則、給与規程をどう構成するか。宿直、給与天引きの適用除外はどうなのか。労働基準監督署、先行施設の関係者から具体的なアドバイスをいただきました。特養開始以降も制度改正、在宅諸事業、保育事業、医療介護連携、職員雇用対策等々、苦悩を伴った営みが綿々と続いて事業が展開されてきたのです。そして、いつしか「白翠園は…」という評価が聞かれるようになりました。
いったい、これは何なのだろう。法学部出身の私は、ふと法哲学者碧海純一先生の「法は文化である」という言葉を思い出していました。「文化とは、人間の生活様式の全体であり、人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体である。」と言われています。法人設立、建物整備、諸事業の実施を皆さまと共に手掛けた有形の成果。職員、入所者、利用者、ボランティア、地域の皆さまと共に処遇を実践してきた無形の成果。これらの総体はまさしく文化であり、佐倉市と栄町という地域において織り成す「白翠文化」と言って過言ではないように思います。
地域共生社会の実現。革命的と言われている新社会福祉法の実施を受け、これからの社会福祉法人の歩みも決して平坦なものではありません。福祉は差別と偏見との闘い。世にある虐待、遺棄、詐欺、ヘイト等々に対処し“最善”を求めて行動し続けなければなりません。小さいけれども夢は大きな誠友会。理事長にはこれらを踏まえた明確な理念、実践への情熱、行為に対する責任に加え、未来を目測する能力が必要とされています。未熟さを克服しつつ、これからも「白翠文化」の飛躍に向かって歩んでいきたいと思います。

社会福祉法人誠友会 
理事長 竹内 淳

白翠園の名の由来

白翠園の名は、王維の五言律詩「新晴野望」をヒントに命名されました。
雨上がりの田園風景。澄みきった空気とキラキラ輝く水と緑。田植えの季節なのか、農家は家族総出で農事にいそしんでいる。この律詩の中から「白水」の響きを取り入れ、「水と緑の佐倉市」にあやかって、「水」を「翠」に変えて命名したものです。また栄町も「水と緑の栄町」を標榜しています。

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